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平田 薫(ひらた かおる、1954年2月9日 - )は、香川県坂出市出身の元プロ野球選手(内野手)。 == 来歴・人物 == 坂出工業高校ではの夏の甲子園香川県予選で準決勝に進出するが、坂出商に敗れる。卒業後は駒澤大学へ進学し、東都大学リーグでは5度の優勝を経験。リーグ通算72試合出場、260打数89安打、打率.342、3本塁打、43打点。ベストナイン3度受賞。には秋季リーグ優勝後、明治神宮野球大会でも同志社大を降し初優勝を飾る。春季リーグでは首位打者となり優勝に貢献、最高殊勲選手に選ばれた〔朝日新聞、1974年5月30日付朝刊 (14面)〕。は春秋連続優勝、全日本大学野球選手権大会でも決勝で大阪商大を破り優勝している。また1974年、1975年の日米大学野球選手権日本代表に選出されている。 のドラフト外で読売ジャイアンツに入団〔朝日新聞、1975年12月27日付朝刊 (12面)〕。対左投手に強く、「左キラー」の右の代打要員として活躍した。日本ハムとの1981年の日本シリーズでは、左投手に強いことを買われスタメン出場もし木田勇、高橋一三といった相手左腕投手から本塁打を放つなど日本一に貢献し、優秀選手賞を獲得した〔1981年度日本シリーズ 試合結果 〕。 のシーズン終了後に自由契約となり、翌に横浜大洋ホエールズに移籍。その年の対巨人戦では相手の自力優勝を消滅させる満塁本塁打を放つなど、古巣を見返す活躍をした〔“左殺し”平田薫、執念の満塁弾で巨人自力V消滅 〕。に岩下正明との交換トレードでヤクルトスワローズに移籍。同年4月8日の巨人との開幕戦(東京ドーム初の公式戦でもある)で、角三男から決勝の2点二塁打を放ったのが最後の晴れ舞台となった。同年限りで現役引退。 引退後、香川県へ帰郷。県内の会社勤務を経て徳島県の学校法人生光学園の職員となり、硬式野球のヤングリーグに所属している生光学園中学校の監督に就任。加盟して3年目の、2009年3月のヤングリーグ第17回春季全国大会で優勝した。 中畑清や二宮至とは、駒大野球部および読売ジャイアンツで同期。ともに「駒澤三羽ガラス」と呼ばれた。なお、中畑が巨人にドラフト指名された際に「平田と二宮も一緒に入団するなら入団する」と巨人に申し入れたのがきっかけで巨人への入団が決まった。 かなり飲兵衛で、代打で打席に入る前に一飲みして景気付けをし打席に入った事があるという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平田薫 (野球)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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